舞鶴市は京都府の北部、日本海に面する北近畿の中心都市です。市内東部にある軍港を中心に重厚長大産業都市として発展してきました。
 舞鶴市、浜地区国道27号線に架かるふたつの橋「 白糸橋 」と「 万代橋 」、この東西間にある商店街が大門(おおもん)通り商店街です。
 古くは十五間幅の「鎮守府東街道」で当時の新舞鶴町の大動脈にもなっていた大門通り。ここでは大門通りの歴史を紹介していきます。


 明治34年、東郷平八郎中将を初代司令長官として鎮守府(海軍の役所)が開庁し、軍港の街として発展してきた舞鶴。

 軍港設置にともない多くの海軍軍人・軍属・海軍工廠工員とその家族が移住してきて新たな住宅、商店、娯楽機関が必要となった為、浜・余部下・余部上を中心に大規模宅地開発がなされ新市街地が造成されました。


舞鶴鎮守府
 明治36年、碁盤目状に区画した浜の市街地は、京都のように区画造成されていたので、寺川から与保呂川の南北の道を、一条から九条と名づけました。

 東西に走る道路には戦艦・巡洋艦などの軍艦の名がつけられました。八重山・富士・八島・敷島・朝日・初瀬・三笠です。
 この浜の市街地に全国から商人が集まり賑わったのです。このころから大門通りは商店集合地としてはじまりました。


大正12年の大門通り
 ところで、なぜか大門通りだけ軍艦名ではありません。かつて余部下−北吸間が軍港構内であった時代に「 東門 」「 西門 」が設けられ、その門に通じる大通りを「 大門通り 」と呼んだようです。
 余部下の大通りは現在「下本通り」といいますが、当初は「大門通り」でありました。

   
大正12,14年版、新舞鶴商工案内より、当時の広告です。
 大正13年、新舞鶴駅と東港七条海岸を結ぶ臨港鉄道が敷設され、昭和5年には新舞鶴港駅が設置されました。
 この鉄道は長さ1.3kmの貨物専用単線で昭和16年には海軍専用側線となり、昭和30年には廃止になりました。

万代橋の横を通る列車
 写真は昭和初期の大門通り六条の市場入口(芝居座)。
 当時は現在のビルセンターから八島公園をとおり、八島通りまで市場がありました。

 写真は昭和初期の大門通り三条交差点付近から東に向かって撮影したもの。
 左端の建物は旧安田銀行で、現在はこの地に北都信用金庫が建っています。

撮影 : 井上 金次郎
 昭和28年 大門ビルセンター建設 写真は昭和30年代当時のビルセンター

 写真は昭和29年に海上自衛隊が発足し、音楽隊が編成されて初めての行進で、大門一条を行進するようすです。

写真提供
(株)郷土出版社「舞鶴・宮津・丹後の今昔」

 昭和31年 アーケードが竣工されました。数回の改装をえて現在に至ります。

 写真は30年代大門七条
 当時は商工会議所がありました。
 昭和44年 大門商店街振興組合設立
 平成4年  協同組合 東舞鶴商店街連盟設立に参加

 大門一条西寺川に架かる白糸橋。
  写真に見える擬宝珠は明治30年に鋳物師が作ったもので大六、小四を数えたが大正末期の架け替えで姿を消しました。
 大正期に大門一条あたりには、紙商や菓子商などがありました。

大正の白糸橋
 大門九条東与保呂川に架かる万代橋は、明治35年に初代万代橋が架けられました。

大正の万代橋
 二代目は昭和28年9月25日に台風13号の大豪雨で破壊されました。
 2年後の昭和30年11月に復旧工事がなされ三代目の万代橋が竣工し現在も利用されています。

 タイドアーチ式の橋は当時府下唯一のものでありました。

昭和初期の万代橋


くずれた万代橋
(撮影 : 金口 文平 氏)
資料提供・協力:
舞鶴郷土資料館、舞鶴市教育委員会、舞鶴市役所秘書課、舞鶴商工会議所

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